大切な"無駄"

26年前にやっていた"彫金工房"を一時的に復活する話を   徒然に✒️

 

自分が今生きてる、そして生きていこうとする音楽が真ん中にある世界は、これからもずっと人の笑顔にあふれ続ける世界のはずだったけど、世間は依然として変わらぬ状態。生活を戻すというより " 変える "  " 新生活 "だ、、と、この世に沢山あった大切な"無駄"をも省く風潮になった感は否めない。結果、状態は変わらないと言うより、もう根本が変わってしまった感もある。

 

笑顔に大切なのは  ”無駄” なんだけどね。それで問題なのは、この無駄が消える事で、遊びの現場も消えてゆく事だ。これでいいのか、、。

 

俺達が、見えない希望に身を委ね、先もわからぬまま、正解を探しながら生きる姿を示したところで、この国は、文化の価値や力を軽んじいているし、世界に負けじと自動化、無人化にお熱だから、この必要な”無駄”も不要不急として視野にないのだろう。

そんな中、愛しくも”無駄100%”の世界に生きる我々は、新たな形を打ち出さねば、生きてゆけないという世間のスタンダードを食らってしまったけど、自分としては、むしろそれらを”完全にスルー”していたい、というより、スルーする立場だ。

人と色々話す中で、この禍を活かしたアイデアとか新生活に乗じ、状態を逆手に儲ければいいじゃないとか言われたりするが、アイデアに対して、何のワクワクもないし、全く刺さらないない。

この国は、何がしたいのだろうか?リモート、バーチャル、自動化、無人化、終電繰り上げ等の新生活の一連の政策、報道操作、世論の同調で、人の生の営みを消しあってる社会の図式が、馬鹿馬鹿しくてしょうがない。

そんなものの為に、" 大切な無駄 "もなくなってゆく世界は、俺たちにとって、未来の子供らにとって幸せなのだろうか?、、、、 

 

と、ぶつくさが募りここで何か言ったところで、我々の何が変わるわけもなく、

俺も、皆と同じく、今を生きる生かすのしのごのがあるわけで、結局そんな悶々とした時間こそが、”本当の無駄”のループです、、とオチがついたところで

ここで一回 原点回帰です。” 彫金工房を復活 ”させる事に 👏

手を動かしたり、音出したりする作業は、シンプルにダイレクトに希望を見せてくれる。 単純にそんな理由。

私ごとの経歴ですが、17の頃から、常に音と形の制作と共に生きている経歴をもっております。そう、工房立ち上げから26年、今この禍で、音楽に関わる仕事がほぼなくなったが、彫金の道具はまたそのままある、、という事で、原点回帰なのです。手を動かせば、また希望も強く光りだすと考え、立て直しです。

 

いい形といい音楽は似ていて、美術作品と音楽作品の線引きは自分にはない。

だから、今バンドは動けなくても、形でも出来る事をやろうと思うのです。

 好きな事は制作だから、それはずっと変わらない。音楽も、形を作っている時が一番生きているし、作品が良ければ見せたいから、イベントもする。

その流れは、ずっと同じ。

 

無論、夢資本主義で色々な準備もしていますが、今手が出せぬ状況でも、まずこの彫金のような小さい事からでも未来を繋げ、行動を身体に認識させてゆく。まず頭の中を変え、そしてちいさくも自分なりの未来を、体を使って示していく。ってな感じで行こうと思っております。

 

彫金工房"を一時的に復活するという徒然なる、長〜い話 ✒️ 。

御一読ありがとうさんでした。

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